太陽と星と予兆
Twin Dantelion
Side-A




 花火が咲く。
 空に、高く高く、咲く。
 この手を伸ばしても、決して届かない空に、咲く。


 月が翳り、太陽がその影に飲まれる一瞬。
 星と太陽は邂逅する。


 花火のように儚い白昼夢の中で。



 その日、田村麻奈美は浅倉かすみに無理やり連れ出された。
「今夜、大社で花火大会があるんです。
 一緒に見にいきませんか。ワクワク」
 それは近辺でも大規模な花火大会として有名だった。
 会場はここから離れていて、数十分ほどの距離だ。
 その遠さに麻奈美はためらった。
 熱心に誘うかすみに対して言えない言葉があった。

『行っている間に、満さんが帰ってくるかもしれない』

 恋人の井原満は未処置のまま悪化させた胃潰瘍を抱え、
彼女には秘密で、死を覚悟した大食いを続けていた。
 そして麻奈美がその真実を知ったその日。
 満は麻奈美の目の前で、
宮園食品本社地下での最終フードファイトを勝ち抜き、
そのまま行方をくらませた。
九太郎も同時に姿を見せなくなった。
 ファイトの後、宮園食品の会長婦人が彼女に全てを話してくれた。
 その宮園食品や、麻奈美の知り合いの経営する加賀見グループの
特殊実働部隊が今も必死で満を探している。

 そして、今日で失踪10日目。

 伝えたい言葉があった。
 怒りも、引っぱたいてやりたい思いも。
 そして謝るべきことも、願いも。

 なにより、満の傍に居たかった。

 時間を重ねるごとにそれらは降り積もり、
強い想いとなり、期待となり、疑問となり。
 かすかな諦めが混じり始める。

 彼女が漂わす迷いは、周りにも感染していた。
 かすみが麻奈美を連れ出したのも、
それを見かねてのことだったのだろう。



 人込みの中、気がつけば手を伸ばしていた。
 “あの人”の手を捜してしまう。
 そっと温かく握り返してくれるはずの手を。

 あるはずがない。

 現実に戻り、空の手を引っ込める。
 自分の中で『当たり前』のようになっているささやかなこと。
それはどんなに自分の心を占める行為だったのだろうか。



「かすみちゃーん、どこにいるの〜?」
 麻奈美ははぐれた彼女を探して歩き回っていた。

 大社に来たのは失敗だったのだろう。

 彼女と満が近くの縁日に行ったのは、ついこの前だ。
その時の記憶が鮮明にこみ上げ、彼女の思考を満たしてしまう。
我知らず満の姿ばかり追い求め、
気がつくと麻奈美は同伴者からはぐれていた。

 彼女は大社の一番奥の鳥居に辿りついていた。
 鳥居にもたれ、彼女は一息つく。
「どこに行っちゃったんだろう……」
 はっとして巾着から携帯を取り出す。

どうして今までその存在に気づかなかったのか。
かすみに鳥居の前にいると伝えて、それから…。

「えっ?」
 圏外表示。
 妙だ。この大社は街の中にある。
携帯も、電波受信状況がいい電話会社の機種のはずなのに。
麻奈美は動いて電波の届くところを探そうとした。

「鳥居って、何のために神社にあるか知ってます?」

 彼女のすぐ近くの背後から予期せぬ声が掛かった。
思わず振り返る。
 そこにいたのは一人の女性だった。
 自分より少し若いと思った。
茶色のジャケットにロングスカート。
自分と同じくらい大きな瞳を輝かせ、すっと近寄る。
身長もあまり差が無い。

「えっ、いや、その……」
 突然の問いかけにも驚くが、そんな疑問についても考えた事も無い。
「神様の使いが休むところだよ。
 日本では『八咫烏(やたがらす)』とか、神様の使いは鳥の姿をしているらしいから。
 だからその使いの為に、大きな止まり木を作るの」
 抑揚や発声に僅かな訛りはある。
しかし流暢に話す女性に麻奈美は目を丸くした。
「あの、貴女は……」
「私は芳。楊芳っていいます。
 はじめましてだよね」
「はじめまして、麻奈美です」
 思わず相手のペースに飲まれてしまう。
「ええっと、ヤン……ってことは中国の方ですよね。
 日本のことに詳しいんですね」
「ええ。昔はずっと、日本に来たいと思っていたから、いろいろ勉強したしね」
 初対面にも関わらず、ずいぶんと馴れ馴れしい。
「だから鳥居自体もすごく神聖なもの。
 時として神の使い以外の者さえ、導いてくれる」
 芳は静かに、麻奈美が凭れていた鳥居の柱を触る。
麻奈美は芳から距離を取った。
 芳はその様子を少しだけ哀しげに見つめた。
「座らない? 立ち話もなんだから」
 麻奈美はその言葉に辺りを見渡し……。

今度こそ絶句した。

 先ほどまで混み合っていた境内から、人気が全く消えていた。



『満さんは綿菓子どうです?』
『あ、俺は林檎飴のほうがいいです。
 いや、焼きいかかな。もんじゃ焼き? 焼きそばも捨てがたい』
『……で、どうするんですか』
『オレ、なんでもいいんです』
『もうっ』
『んーー、あえて言うなら……』
『あえて言うなら?』
 指差す先は。
『麻奈美さん?』
 無言。
『……うわっ、ごめん冗談ですお願いぶたないでっっ……!』



 謎の女性と並んで座る。
 芳はあれから何も話しかけてこず、
自分も話しかける気にはなれなかった。
 沈黙の中、考えてしまうのはそれでも満との思い出ばかり。

 脈絡も無く、突然芳が口を開いた。
「マナミ、ミツルは無事だよ」
 弾かれるように麻奈美は芳を見た。
 思わず芳の両方の二の腕を掴む。
「それ本当ですか、満さんはどこにいるんですかっ!」
 彼女の怪力によって、芳の体はゆさゆさと揺れた。
 芳への恐れや警戒心は消えていた。
「お、落ちついてっ……。
 私に分かっているのは、彼は生きている事だけっ……」
「どうして分かるんですかっ」
「どう話したらいいかな……。
 ちょっとさかのぼるけど、私はミツルと10年前に出会ったの」
「十年前?」
「そう。ニューヨークのハーレムでね。
 彼は自分の居場所を探してたわ。
 私はそんな彼と出会い、一週間だけ宿を提供したの。
 ……結局その間に、彼は育った故郷に帰る決意をしちゃったんだけど」
 芳の表情に、女の感が働いた。
「満さんのこと、愛してたんですか?」
「愛って……。
 たった四日間しか知らないんだよ?
 その間に好意は持ったけど……」
「時間は関係有りません」
「……確かに好きだった。
 ううん。ずっとこのまま傍に居たいと思った。
 そのためなら、命をかけて闘えた」

『……だから体はもうボロボロなんだよ。
 このままだと死んじゃうかもしれない』
 満を止めろと懇願する、雄太の言葉が脳裏に蘇った。

「私はそれからずっと彼とは『会ってない』。
 でもこう思ってる。
 どんなに離れていても、彼が星を見てくれる限り、
 彼のことを感じられると」
「私も……満さんのことは好きです。
 でもそこまで信じられない。
 それだけで……彼が生きているなんて。
 だって彼は…………嘘つきだから」

 だからこんなに不安になるのか?
 本当は彼の嘘をすべて許せる自信が無いだけじゃないのか。
 彼女が知らない場所で彼が傷ついていたとき、
それを自分の気持ちに対する裏切りとして
感じてしまうからじゃないのか。

「彼は、本当は嘘をつくのが苦手だよ。
 それでも嘘をつくのは、相手を守りたいから。
 そのためだけに、嘘ばかりが上手くなった」
「なぜ、そう言えるのですか……」
「私は彼が変わった瞬間を知っているから」
 昔の満は、自分勝手な嘘をついていたという。
 でも彼女が知る嘘は、痛みを全て一人で負うものばかりだ。
「じゃあ、貴女が……?!」
 園長が言っていた、満が変わった理由なのか。
「私はあくまできっかけに立ち会っただけだよ。
 そして私自身には、たった一回を除いて嘘をついてくれなかったもの」
「たった一回?」
 芳はにいーっと笑って見せた。
それは驚くほど満そっくりの笑い方だった。
「ただ笑ってくれた」
 たったそれだけの行為が、麻奈美の心を抉った。
 これまでに感じた事の無い、激しい嫉妬が湧き上がる。

 なぜ?

「ミツルが笑うとき、自分の本音を隠してるときが多いんだよ。
 どうしようもなく辛くて、だからこそ相手に笑ってもらいたいとき。
 覚えておいて」
「どうしてそんなことを」
「マナミだから、知っておいて貰いたかった。
 ミツルが愛したひとだから、知っておいて貰いたかった」
「そんな、彼の本当の気持ちが、貴女に分かるんですか」
 なら自分には分かるのか?
 逆上して放った一言が、麻奈美自身の心を深く抉った。
「ごめん、あなたを傷つけるつもりでここに“降りてきた”訳じゃないの。
 でも自信をもっていいから。
 あなたがいなければ、彼は闘い抜けなかった。
 それは事実なんだから」

 闘う?

 その言葉に麻奈美は引っかかった。
「貴女はどこまで知っているの?」
「そうね。かなりのことを。
 現世に留まる人間に話してはいけない事まで」
「現世……?」
 目の前で大きな羽音がした。麻奈美の顔に風が吹き付ける。
 音源になるような物はどこにも見えないのに。
「私は、本当は“死んでいる”の」
 伸ばした腕は、麻奈美の体に沈んでいった。
「本当は妬いてる。
 本当は私が傍にいたかった、傍で私を見て欲しかった……」
 芳は微笑んでいた。
「でも、それは無い物ねだり。
 彼はマナミを選んだの。それは帰られない事実。
だからせめてミツルとあなたの幸せを願うわ」
 混乱のあまり、麻奈美は何も言えなかった。
「ただ信じるだけで待ち続けるのは性に合わない。
 だから二回、私は彼を現世に押し返した。
 一度はユキコという死人に生気を吸い取られたとき。
 二度目は十日前」

 雪子。つくし園の園長先生に取り付いて足の自由を奪った亡霊だ。
あのときも確かに満の体調がおかしかった。
 そして十日前。

 その意味するところを知って、麻奈美はそれまでのことを
忘れて詰め寄った。
「生きてるんですねっ」
「でも押し返した反動で、彼は私のことを忘れてしまったわ。
 だからどうしているのか、知る術が無いの。
 でも生きている事は間違いないから。

 そして、彼が帰る場所は彼が育った場所しかない。
 10年前、彼は自分の居場所として選んだのはそこなんだから」
「園に、帰ってきてくれる……」
 素直に感謝の気持ちが湧き上がる。
「ありがとう……」


 生きていてくれれば。戻ってきてくれれば。
 すべてはそれを願い、信じられればいい。





  



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