06. 天泣
Side-A




天泣(てんきゅう)
――上空に雲がないにも関わらず、雨が降る現象。
別名を『天気雨』、『狐の嫁入り』



「……まさか、エーイチに誘われる日が来るなんてね」
 夜、ホテルの最上階のバー。
 如月の提案で旧交を温める為に集まったのだ。
 カウンターからナイロビ市内の輝きを見下ろせば、
アフリカに対する先入観が、また一つ壊れていく。


「で、ミツルは?」
「あいつはコレと電話してる」
 小指を立て、如月は少しだけ気障っぽく笑う。
 内心では計算通りの口角の角度、目の細め方に『決まった!』と自画自賛だ。


 ここに来る途中、部屋を出た満と会った。
 髪をオールバックにし、白いスーツを着込んだ如月の姿に、
相手は何も言わずとも全てを理解したようだった。
 呆れたように笑ってから、
「真奈美さんと定期連絡してくるから、先に行け」
と送り出してくれた。


「その仕草、少し品が無い」
 ツッコミを受け、如月は小指を立てたまま
そぉっとカウンターの下まで手を下げる。
「そっか、ミツル、恋人がいるんだ。
 そうよね、あれからもう何年経つんだか」
「……そ、その」
「何?」
 恐る恐る覗き込む如月に、
あっけらかんと問い返す怜南。
 如月は『怜南の恋人の有無』を問い掛けようとして、止めた。
「あ、いや……」
 目の前のシャンデー・ガフを一口含み、
浮ついた気持ちを静めようとする。
 今の自分には、それより先に言うべきことがある。
 含まれるジンジャエールの甘さは程々に、
喉元を一気に炭酸が弾け、痛みを覚えさせた。


「……いつかレナに会ったら、
 言わなきゃと思っていたことがある」


 その意識は、目の前ではなく過去へと向けられていく。
 如月は静かにカクテルへと視線を下ろす。
 グラスの中で弾け続ける炭酸の音は、
いつかの雨の音に似ていた。


「トオルの事だ」


 褐色の液体を湛えたグラスを手に、
怜南も表情を改めた。
 ウォッカとカルーアをかき混ぜただけの、
ブレイブ・ブル(勇敢な雄牛)と言う名のカクテルは
その名とは裏腹に甘く口当たりが良い。


 それを口にする目の前の女性も、
また同じだと如月は思う。
 どこか冷めたように強がっていた子供の頃も、
今のように外国で一人生きる様子も、
とても強く勇敢に見える。
 だがその奥には柔らかな女性らしさも、確かにある。


――なぜ、再会するまで、その事に気づかなかったのだろう――


「トオルの葬式の時、お前の言った言葉が、まだ耳の奥に焼き付いてる」
「私の、言葉?」
「『意味は、ある』。
 俺の『死んじまったら意味がない』って言葉に、
 お前がそう反論したんだ」
「……言った、かも」
 静かに怜南が頷く。
「……トオルが死んだきっかけは、俺なんだ。
 俺が、あいつに万引きを促すようなことを囁いたから、死んだ。
 ……俺の言葉なんかで、あいつが死ぬなんて、認めたくなかった」


 如月は感情を圧し殺しながら、告白する。


 亨の妹が引き取られる前日。
 『赤い靴』が並んだショーケースの前に佇む亨に、
“餞別に万引きしてやれよ”と促した事。
 見張り役を引き受けたのに、
亨は目の前で万引きを見つかり、
逃げ損ねてトラックに轢かれて死んだ事。


――長い間、心の奥底に突き刺さっていた楔だった――
 亨に対して強い負い目を感じながら、
その事実さえ認められずに、
その死を受け止め切れずに、ずっと生き足掻いてきた。
 6年前、友に、歪みさえ孕んだ憧れと後悔を受け止められ、
その更に奥にある本当の感情を指摘される迄は。


「ずっとあいつに負い目を感じていた。
 あいつにどう詫びたら良いのか、今でも分からない」


 “亨の妹に、亨の振りをしながら援助する”ことも、
それが正しい償いなのか、分かってはいない。
 亨が甘受すべき喜びを自分が奪っているのではないかと、
逆に罪の意識に苛まれる事とて、多い。


『それでも、その痛みも含めて生きなくてはいけない』


 それが、満が如月に己の生き様を持って示した答えだ。
 ならば自分も親友と共に
亨の背を追いかけ、生きていかなくてはならない。


「知らなかったん?」
 告白に対する返答は、
如月が想定したものよりも遥かに柔らかった。
「え?」
「トオル、万引きしたんやない。
 靴屋さんに、靴があった場所に置手紙しとった」
「……おま……知ってた、のか」
 如月が知ったのは、ほんの6年前だ。
 怜南が何故、知ってる?
「園長と靴屋さんの会話、聞ぃてたから」
 さらっと言ってのけると、笑みに似たものを浮かべる。
「『後で絶対に代金を払います。その代わりに、自分の靴を置いていきます』
 トオルらしいと思わへん?」
 いつしか怜南の言葉から、関西訛りが強まっていく。


 怜南の表情は、今は柔らかい。
 ……だがとても苦いものをそっと押し殺しているのは
簡単に見て取れた。
 如月はその笑みに息を呑んだ。
 それは古い傷跡をなぞるというよりも、
深く鋭い傷口から溢れる鮮血を、押さえ付けて止めようとしているようだ。


 怜南が昔、亨を好きだった事は気づいていた。
――そしておそらく、亨もまた――
 当時はまだ怜南の事を女性として意識すらしていなかった為、
“トオルは趣味が悪い”などと苦笑していたが。
 今となっては、当時の自分の見る目の無さに絶望するしかない。


 亨と怜南の恋も、遥か昔の話だと思っていた。
 昔の恋を引き摺るのは男で、
女はもっとさっぱり割り切れると強い存在だと、どこかで考えていた。
 だが、怜南は――。


「……全く、だ」
「あんたも、や。
 悪ぶって強がっとるけど、自分がやった事に
 心の奥で傷ついて苦しんで、本当の悪になれない」
「……かもな」
 正鵠を射た指摘に、如月は苦笑を零す。
「……なーんてな。
 これ、トオルの言葉」
「え?」
「あんたの事、トオルはよぉ分かってた。
 だからずっと友達しとったんや」


 ――あの頃。
 亨の前ではずっと悪ぶっていた。
 それが大人らしさであると、酷い勘違いをしていたからだ。
 そんな如月の底の浅さを亨はとっくに見破っていて、
その上で自分の事を信じて、友だと思っていた……。


 後悔も感謝も、古い傷口から溢れ出す。
 その痛みに耐え切れずに、
如月は目頭を押さえた。


「トオルはずっと園の皆を見てた。
 必死に自分の家族達を見て、いつも考えて、
 できる事に全力だったんや」


 怜南の言葉はあの頃と同じ
関西訛りのイントネーションだったが。
 だが遠い記憶の中のそれとは違って、
優しくそっと包むように響く。
 それは彼女の心情の変化の表れか、
自分の彼女を見る目が変わったからか。



 ふと、言葉が吐いて出た。
「……今は、満がそれを受け継いでるよ」


 僅か前まで『今は俺が園でお兄さん代わり』等と
吹こうと考えていた。
 だが、怜南の気持ちを知った途端、
そんな嘘や虚勢が恥ずかしくなった。


 そうだ。
 今、間違いなく『亨の精神』を受け継いでいるのは――


「満の奴、毎日のように園に通ってやがるんだ。
 日曜日には企画部の余ったサンプルの食品持ってさ。
 今居る園児の兄さん代わりを買って出て、
 本当に一人一人に心を砕いて。
 ……時には仕事を放っぽりだしてまで、だぞ?」


 ――自分の誇りを掛けた大事なフードファイトの途中ですら
園児一人一人の事を考えて、疎かになって。
 傍で支える人間としては時に苛立たしく、
時に不安になるその姿。
 そうしてただ、只管に考え抜く精神力こそが、
彼を本物の“園の兄貴分”にしていた。


 それは往時の亨の姿その侭だ。


「ミツル、が?」
 あまりに意外だったのか、怜南が目を丸くする。
「あの園一番の問題児だった、あいつが?」
「そうだ。ほんとに分からないもんだろ」
 言葉を失ったようにコクコクと頷いてから、
「あ……でも」と怜南は思い直したように言葉を紡ぐ。
「トオルが言ってた。
 『もし、満が愛されていることに気づいたなら、
きっと俺よりもずっと良い兄貴になる』って」


「トオル、が?」


 振り返るとそこに満が居た。
 その驚いた顔は、
直前の怜南の表情にそっくりで、
如月は思わず口元を笑みの形に緩め――
――緩めようとして、
開いたままの胸の傷に障り、再び痛んだ。
「おぅ、連絡は終わったのか」
 そう声を掛ける自分の表情は、どうなっているのだろう。
 上手く繕えている気がしない。
「あ、あぁ。してきた」
 だが当の満もまた、動揺を隠さず頷くばかりだ。


――本当にこいつは――
 何時までも必死とはいえ、最近は少し落ち着いたと思ったのに。
 根底の精神的な部分で弱くて
だから友として、相棒として支えてやりたくなるのだ。


「そや。昨日、満が『味覚障害じゃないか』って言ってたのも。
 あれもほんまはトオルの受け売りなんよ」
 怜南が二人の様子に気づいたのか、否か。
 そう言って笑う。


「ほんま、園の皆の事ばっかり考えてたんよ……」


 その侭、3人はずっと昔語りに突入した。
 当時はあれだけ嫌で、
本当に飛び出した事もあるはずの昔が、
愛しく大切な思い出に変わっていく。
 そんな不思議を引き起こす中心は、間違いなく亨の存在だ。


 だが、如月は同時に胸の痛みを堪えていた。


 亨の事となると、怜南は本当に詳細に楽しそうに語る。
 それはどうしようもなく鮮明に、
怜南の胸の中に亨が息づいている証拠だ。
 その事に如月は打ちのめされざるを得なかった。


 再会からこの瞬間迄の短い時間に
如月は必死に口説き文句を考え、用意していた。
 それらは今、カクテルの泡と共にかき消えていった。






19'/06/16 UP





     



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