06. 天泣
Side-B




「なぁ、トオル。時間ある?」


 怜南がそう声を掛けてきたのは、
“かすみの養子先が決定した”その翌日の夜だった。


「レナから声を掛けてくるなんて珍しいな」
 亨は肩を竦め、怜南を表の庭に促した。
 防音なんて贅沢な設備などつくし園に無い。
 ゆっくり話すなら
庭のブランコに座って話すのが一番良い。


「……かすみ、行先決まったな」
「あいつは、俺と一緒が良いって駄々を捏ねたんだけどな」
「そーなん?
 さっきは大人しかったやん」
「昨日は言い聞かせるの、大変だった」
「そうやったん」


 ぎぃ……ぎぃ……。


「あんたも、いつかここ出てくんやろ」
「どうだろうな。
 俺はもう高学年だし、難しいよ」
「難しゅうない」
 怜南の声からは必要以上に感情が削ぎ落されていた。
「あんたがいつも、みんな寝静まった頃に勉強してんの、知ってる。
 学力も良い、顔だって悪い方や無い。
 それどころか、そこらの親が居るクソガキ共より、
 礼儀も正義感も、人と仲良ぉなるのも、
 全部秀でてる。
 園の誇り、ったらトオル、あんたの事や」
「……俺はそこまで立派じゃないよ」
 首を横に振る。
 そして照れるよりも先に、怜南の強張った表情を伺った。
 誤魔化さない方が良いと悟る。
「園長から申し出があるなら、考えはするよ。
 この園にも、園長たちにも世話になったから、
 迷惑は掛けたくない」
「そぉ、か」
 怜南はゆっくりと亨から目を逸らす。


 二人はしばらくブランコを漕いだ。
 亨は待った、
怜南が本当に言いたい事を切り出すのを。
 そんな亨の顔を覗き込み、
怜南は小さく淡く苦笑を漏らした。
「……行かんといてな」


 ぎぃ……っ。


 その言葉に、亨のブランコを漕ぐ足が止まる。 
「怜南?」
「うちな、ここが嫌いや。
 うちまで『可哀そうな子』になってまいそうで、嫌や」
 声が小さく震える様子に、
その奥で感情がさざ波立っているからだろうか。
「でも……トオルがおるなら、『可哀そう』や無い。
 トオルみたいな優しい奴がおるから、
 ここの皆は世の中の『可哀そう』なんかや無い」
「そんな、買い被り過ぎだって」
「……違う!」
 声が跳ね上がり、そしてまた潜められる。
「あんたは確かにお人好しで、
 信じとるんやのうて、疑わへんだけで。
 ――でも、それでええねん!
 トオルは、あんたが自分で思ってるより、
 ずっと強くて、頭も良くて――だから頼れる『優しさ』を持っとる。
 皆にとって最高の兄さんで―――」


 怜南は言葉を切ると、ブランコから降り立った。
 そのまま亨の目の前に回り込み、
自分の服が汚れるのも構わず、膝をつく。
 亨と怜南の視線が、ちょうど同じ高さになる。


「うちにとっては、本気で惚れた人」


 その一言は、酷く強張っていた。
 間近で見る怜南の顔には、
恐れと甘さと照れと祈りと苦さと、
様々な色が浮かんでは入り混じり移ろっていく。
 だが、その中でも一層色濃く浮かぶ切実さに、
亨も真っ直ぐに見つめ直した。


「俺にとってのレナは」


 亨はすっくと立ち上がって近づき、膝をつく。
有無を言わせずに抱き寄せた。


「憧れ」


 怜南の体が腕の中で一層強張る。
 その緊張を解そうと、亨は僅かに力を緩める。


「誰よりも真っ直ぐに気持ちを言えて、
 でもちゃんと引き際も分ってて。
 色んな常識を弁えてて、
 いざってときに頼りになる」


 満が警察沙汰の事件を起こし、
警察との対応で大人たちが精一杯になった時の事だ。
 怜南はさり気なく他の園児達を園に呼び戻し、
部外者たちの悪意の視線から庇っていた。
 その後の登下校でも暫くは
園の下級生たちを苛めから守る為に
学校内でも常に庇えるように立ち回っていた。
 同じ様に気に懸けていた亨は
そんな彼女の立ち振る舞いに気づいていた。


「何より、君と一緒に居る時間が嬉しい」


 君の言葉も行動も、いつも自分を惹き付けるから。


 背中に回していた手を上腕に添えてそっと体を離し、
怜南を正面から見つめる。
 何時もの強気が消えた、
不安げな、だか何かを期待する顔が、そこにある。
 亨は胸の奥にずっと潜めていた想いを告げた。


「俺も、ずっと惚れていたんだ」


 怜南の表情が綻ぶ。
 恋をする女の子の表情は、
どこか弱くて柔らかくて甘い。
 初めて見る怜南のそんな表情に、
亨の胸は更に高鳴った。


「えぇの?」


 不安を滲ませるその関西弁が、甘い。
――あぁ、怜南の唇から零れる訛りは
 こんなに柔らかで心地よかったのか――


「『セレナ』の自分で、えぇの?」


 『背高レナ』、略して『セレナ』。
 同年代の女子より一回り高いその身長を揶揄して、
鋭一や一部の園児が彼女の事をそう呼んでいるのだ。
 亨もその事は知っていた。


「分からない?」
――こんなにも自分を惚れさせているのに?――


 惚れていたつもりだった。
 ……今、この胸で弾けそうな感情は、
 そんな『つもり』などよりもずっと強い。
 惚れ『直す』、なんてものじゃない。
 深く、より深く惚れていく。


「セレナ、で良いじゃないか」
 微笑もうとしたつもりだったが、
顔が火照って上手く表情を作れていない気がする。
 必死に頭を巡らせる。
 今はただ、目の前のたった一人の為に。
「ギリシャの女神様の名前も『セレナ』って言うんだ。
 俺にとって君は、月から舞い降りた女神様」


 怜南はその言葉に驚き、
そして感極まったように抱き返してきた。
「月の、女神……。
 うち、今度から皆にそう呼ばれてももう悔しゅうない。
 トオルの『セレナ』やから!」
 今、この胸の中にある大切な人を壊さないよう、
亨は丁寧に、だがしっかりと抱きしめる。
「そうだよ、俺の『セレナ』」



 そんな二人を照らす月は、やがて雲に隠れ――




――雨が、再び降り始める。




19'/06/16 UP





     



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