07. 神立
Side-A




神立(かんだち)
神様が何かを伝えようとして起こす『雷』。
転じて、夕立や雷雨のこと。



――ミツル!


 その『声』は酷く懐かしかった。
 それは記憶の奥底深くまで響き渡り、
大事にしているものへと届く。


『トオル?』


 答える己の声にも、声変わり前の幼さが有る。


 “あぁ、これは夢だ”
 満はそう認識した。
 久しぶりに怜南に会って、亨の話を聞いて、
その影響でこんな夢を見てるんだと。


――良かった、俺の声、届いてるんだな。


『どうしたんだよ、なんかあったのか?』


 これは何時の記憶だろう?
 亨が切羽詰まってる事なんて、余り無かった気がするが。


――いいか、ミツル。
 これは夢であって、夢じゃない。


 何だか奇妙な夢だ。
 『夢じゃない』とか、前置きしてくるなんて。


――頼む。現実の『俺』を止めてくれ。


『どういう意味?』


――悪い、詳しく説明する時間は無いんだ。
 いいか、良く聞いてくれ。


 『亨』の姿が見える。
 死んだ頃と同じ、少年の姿だ。
 そして子供の姿になった満の腕を掴む。


『熱い』
 その掴んだ手ではなく、右のポケットの中が。
 夢では有り得ない程に、鮮烈な“熱さ”を感じる。


『ネックレス、が』
 真奈美のネックレスが熱を発し、
独りでに目の前に浮かび上がる。


 相手を見れば、その胸元でも光り輝く何かが浮かんでいる。
 その輝きは冷気となって、満の頬を打った。


 熱気と冷気、その真逆の性質を持つ光が溶け合い、
目の前の少年と自分をつなぐ。
 満はその感覚に覚えが有った。
 これをケネスは何と言っていたか……そう。


『霊絡(Path)……!』
 つまりこれは夢であると同時に、魔術に関わる現象。
 『運命を引き寄せる』呪具の力が
他の魔術の力と干渉し、混じり合い、
何らかの奇跡を引き起こしている。


 理屈ではなく、理性でもなく、
普段は用いない部分の感覚――第六感に近い何か――で
満は現状を理解する。
 今、自分の意識は亨の魂とつながり、
そこから話しかけられているのだ。


――『俺』は今、生まれ変わってこの街にいる。


 虚を突く言葉に、満は理解が一瞬できなかった。
 幽霊も魔術も魂もこの世界に存在するという事実は
満もその身をもって知っていた。
 だが『生まれ変わり』の存在までは考えた事が無かったのだ。
 確かにあれから時間が経っている。
 本当に『生まれ変わり』が世の中に存在するなら、
亨がそうなっていてもおかしくは無いのかもしれない。


――前世の『俺』の記憶と意志は深層に居て、
  今世の『俺』の人格はその事実に気づいていない。


『生まれ変わり、と言っても、
 別人の中にトオルが居る、ということか?』


 気付けば自分の姿も声も、現在の大人の姿になっていた。
 状況を正しく把握した事により、自分自身への知覚も影響を受けたらしい。


――だいたいそんなイメージであってる。
  そして今の『俺』は、ケニアを大惨事に巻き込もうとしている。


『大惨事?』


 亨から最も縁遠いと思われる発言に、満は身構えるように向き直る。


――呪術を使って、復讐を果たそうとしてるんだ。
  だけどその効果も範囲も広すぎる。
  多くの人が、動植物が、大地が巻き添えになる。


 亨の言葉と同時に、意識に直接『音や映像』が流れ込む。
 ……これは豪雨のイメージ?


『トオル! どうやったらそれを止められる!』


――『俺』がその魔術を使うまで、あと時間だ。
   それまでに見つけてくれ。


 亨の姿がゆっくりと変わっていく。
 だが変化を見極める前に、
満の意識が遠退いていく。


 夢から覚醒へと導かれている。


 必死で『目』を凝らし、『今』の亨の姿を見極めようとする満の意識に、
亨の最後の『声』が届く。



――頼む。レナとエーイチにも、同じ夢を見せてる、から……。






 覚醒と同時に、慌てて着替える。
 満が部屋を飛び出すのと、
向かいの部屋に泊まる如月が廊下に飛び出してくるのは、ほぼ同時。
 如月の表情は蒼白で鬼気迫るものが有ったが、
黙って頷けば向こうも心得た様に頷く。


 着信音が響く。
 満は相手を確認せずに受話ボタンをフリックし、耳に当てる。


〔ミツル! あの、信じてくれないかもしれないけど〕
 怜南の声だ。
 今日だけはお酒を飲むからと、
同じホテルに部屋を取って宿泊していたのだ。
「夢なら見た。
 鋭一と一緒にロビーに行く……!」


 スマホを手に走りだそうとする二人の前に、
ホテルのベルボーイが両手を広げ、たちはだかる。


「あ、あいむそー」
「井原満さま、如月鋭一さま」
 ガイド本から丸暗記した英語で断ろうとする如月に対し、
黒人のベルボーイは流ちょうな日本語で呼び止める。
 二人の表情に警戒の色が浮かぶ。


Mr.Xの使いか」
 こくりと頷くと、一通の封書を差し出す。
 満は一瞬だけ迷ってから奪うように受け取ると
ポケットに捻じ込み、言い切る。
「悪ぃがお前の試合どころじゃなくなったと伝えてくれ。
 急いでるんだ」
 その横をすり抜け、二人は走り出す。
 その背に慌てたように声が投げ掛けられる。


「……この大地が、大豪雨に沈んだしても?」


 『大豪雨』。
 その言葉に、二人の足がぴたりと止まる。
「……どういう、意味だ」
 振り返る彼らに、使いは安堵したように笑む。
「詳しくは現地で説明されるでしょう。
 開始時間は『5時間』後。時間厳守でお願い致します」
 ベルボーイはメッセージが伝わったのを確認すると、
満足げな様子で恭しく頭を下げた。


 急いで開封した封筒には、
ケニアの言葉を記されたカードと一緒に
数枚の写真が同封されていた。


「くっ……!」
 掴み掛りたい衝動を抑える。
 どうせ目の前のベルボーイは末端だ。
 例え問い質しても、何も知りはしないだろう。


 『豪雨』、『5時間後』。
 符牒は一致している。
 なら、亨が――『亨の生まれ変わり』が行おうとしている事の
その背景に居るのは。


「満!」
 一足先にエレベーターのボタンを叩きつけ、如月が叱咤する。
 満は踵を返して走り出した。


――ここに詳しい怜南なら、写真の場所は分かるだろうか――
――難しいならフロントで尋ねるか――


 次にすべきことを考えながら、
二人は到着したエレベーターに飛び込んだ。





「知っとぉ」
 怜南は渡された写真を一瞥して、頷いた。
「ジュンの故郷や。
 こっから飛ばせばなんとか5時間で着く。
 うちのジープに急ぐで」
「怜南、お前、酒……」
「4時間も眠れば抜ける、アルコールなんて」
 二杯目以降はずっとモクテル(ノンアルコール・カクテル)を飲んでいた怜南の場合、
他の二人よりも飲酒の影響は少ない。
 ただ、そう言いつつも、
怜南の手は部屋の冷蔵庫から持ち出したらしき珈琲缶を開けている。
 三人ともアルコールは代謝されても、
純粋な眠気は少しずつ残っている。
「大丈夫かよ」
「真夜中のサバンナぐらい運転できる。
 ここで生きてたら色んな事あるし。
 ……ナイロビ舐めんな」
 最後に気合を入れるように言い捨てると、
駐車場へと走り出す。


 満と如月も慌ててその背を追った。





 やっと、やっと会えた。
 あなたに逢えたんだ。


 ならこっから先、絶対に負けられへん。
 絶対に、生まれ変わったあなたに会う。
 そして絶対に守ってみせる!





「ジュンの故郷って……」
「うちがNGOで活動した、最後ん場所。
 そこには小さな民族があったんやけど……
 伝染病でな、一人を除いて皆亡くなってもうた」
 怜南の訛りは、もう園時代の頃のものに戻っていた。


 ナイロビの真夜中の道を、一台のジープが疾走していく。


「その一人ってのが」
「そう、ジュンの事。
 ジュン自身は奇跡的に罹患してへんかったけど……
 当時は酷く衰弱しとって、
 感染したら絶対にヤバかったわ」
「もしかして、43番目だった民族って……」
 昼の会話を思い出し、如月が問う。
「そや。ジュンの部族はそれで終わったと言ってええ」
 重たい事実に、少しだけ沈黙があった。 
「ジュンは体が回復してからも、精神的に不安定やった。
 うちらの治療の後、ナイロビの病院にも精神的な治療をお願いしたん」


 街の灯が車内に差し込み、
怜南の僅かに緩んだ口元を照らし出す。


「でも、『それで終わり』なんて放っとかれへんかった。
 遠い昔の自分を見とるようで」


 満には分かる気がした。
 “自分がつくし園の子供達に感じる感情”と、
“当時の怜南がジュンに感じた感情”はおそらく似ている。


「その後、仕事が一区切り着いた時点で
 NGOを辞めさせてもうて。
 そのままナイロビに移る事にしたん」
「それで、あれだけ可愛がってたのか」
 紹介された時の親しげな様子に合点がいったように、
如月が頷く。


「その場所は、何か特殊な場所だったりするのか?」
「分からへん。
 ――ジュンを保護して5年目ん時に、
 どないなってんのか一人で見に行ったんよ。
 そん時にはもう写真の光景になっとって。
 ジュンが居た頃の面影は殆ど無い」
「ここだって、間違いないんだよな?」
「それは間違いあらへん。
 そこの超でっかい木ぃもやし、
 あん時に寄った料理屋も写り込んどぉわ」


 満と如月は薄暗い車内で顔を見合せ、
互いに頷いた。
 自分達には土地勘なんて一切無い。
 何れにしても怜南を信じるしかない。


「――せやけど」
「けど?」
 怜南の声が強張ったのを感じ取り、満が促す。
「ジュンを保護したのも、その木の前やったけど。
 ――ジュン、裸でな。
 体は他の人達と違うて刺青だらけで、
 色んな石とかで飾り付けられとって」


 二人は息を呑んだ。
 話の中の異常な光景に対して怯んだからではない、
それが薄々と感じていた予感を裏付けるものだからだ。


「魔法使いみたい、だった?」
 ケネスやカミーラを思い浮かべながらの満の言葉に、
怜南は小さく首を横に振った。
「いや、むしろ」


 その時、車がガタン、と揺れた。


「くっ、そろそろナイロビの郊外や。
 舌噛まんように気ぃ付けといてや!」


 怜南は速度を落とさず、
街灯も無い道へと走り出した。
 揺れる車内、
男達が揺れに耐えかねて車のシートや手すりに捕まるのに対し、
怜南だけがハンドルを手に慄然と前を見据える。
 そして揺れも意に介さぬように、言い捨てた。


「……むしろ、生贄の様やった」





19'/06/16 UP





     



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