08. 怪雨
Side-A




怪雨(かいう・あやしあめ)
――竜巻などによって巻き上げられた『その場に在るはずの無い物』が空から降ってくる現象。



 仮眠から目を覚ますと、
ジュンは体に違和感を覚えた。
 心の奥底から何かが暴れ尽くした様な、
奇妙な虚脱感がある。


『なん……だ……?』


 大掛かりな儀式を控え、
少しでも気力体力を万全にすべき時に
何故こんな状態に。


 無意識に胸元のペンダントに手を触れ――
“それが仄かに光を宿している”事に気付く。
 見ている前で音も無く消えていく其れは、
間違いなく呪術の痕跡。
 自分は無意識に呪いを使っていたのか?
 そう考えるなら、この疲労にも納得は出来る、だが。
 自分は初めての大呪術に気が高ぶり過ぎて
おかしくなったのだろうか。


 思考を追い出すように頭を振る。
 こんな事を考えていても埒が明かない。
 今は為すべき事を為すだけだ。


――そう、この大地の密猟者全員を溺死させる――


 天より来たりて大地を巡り、川に溶け込み海へと至る、
その大いなる雨の力を繰る。
 大地を穢し、禁を犯し、命を蝕む輩に
相応の罰をもたらすのだ。



 ベッドから降り、半袖を脱ぎながら部屋を出る。
 服の下から現れた肌には、幾何学模様とジュンの民族の文字が
びっしりと刻まれている。
 それは異民族の目には、異形の美として映るかもしれない。


 見上げた空には、季節相応の澄んだ星空が見えた。
 だが――彼が幼い頃に見た美しさは無い。
 彼がこの地を離れてから侵食した街の灯が
天空の星々の輝きを穢している。
 深い密林に抱かれる様に存在した故郷は
ケニア全体で問題となっている自然破壊の餌食となっていた。


――父が、母が、一族がこの地に居たならば
こんな光景は有り得なかった。――


 あの疫病を外から持ち込んだ密猟者達は、
きっと父達と同じ様に死んだ。
 だが、金に盲いた亡者どもはその後も尽きる事無く
大地を蠢いている。


――みな……みな、死すべき者達だ――


――奴らが居なければ……居なければ――


 気づけばもう、大樹の目の前に辿り着いていた。
 ジュンは残る衣服を全て脱いだ。
 用意した腰蓑と沢山の水晶や宝石の呪具を、
ジュンは一つ一つ身に着けていく。


 大地と星空の間には魔術の素(マナ)が循環する経路がある。
 ジュンはそこに呪具を介して霊絡を作る。


 勢い良く流れる水路に、ストローで穴を開けたようなものだ。
 それが水ならば、水路から溢れた一部がストローを通って勢いよく流れていく。


 マナもまた、その一部が霊絡を通ってジュンの体へと注ぎこまれる。
 そして体表の文字と模様を巡ることで変質し、
ジュンの意志に染まっていく。
 画して彼の体と精神は、一つの呪術へと変わっていく。
 ジュンは呪術に方向性を与える為に、
唯一つの想いへと心を研ぎ澄ます。


 純粋な殺意――或いは復讐心へと。


 ……と、少年は呪術を維持した侭で顔を上げた。



『おい』
 その場で影となって待っていた小男に、
ジュンは不審な表情を向けた。
『儀式の最中は危険だから離れていろ。
 そう伝えていただろう。
 それに……』
 その視線は、小男の背後に在るワゴンへと向けられる。
『その車は一体なんだ』


『貴方だけに危険な事をお任せるのも、申し訳無い
 せめて見届けさせて頂く所存です。
 あと、この車は、ここに来るまでの単なる足でして』
『違う』
 大気と大地と、肉体。
 その三つの一体化が始まり
体の中を巡り始めるマナがジュンの心.を翻弄する。
 そんな中であろうと、彼ははっきりと否定する。
『中に人が居る。それと――料理の準備か』
 自身が呪術そのものと為りつつあるからこそ、
近くにある水の気配と、それが巡る生命の存在が
手に取るように分かる。
『ほぅ……』
 小男の表情が変わった。
 それまで装っていた誠実さを消し、
ジュンを値踏みするように口元を歪ませる。
 その声音はスコールよりも冷たい。
『なるほど、そこまで分かるとは。
 ……まぁ、引き戻せぬ所まで準備は整った。
 多少ネタバレが早まっても構わぬか』


『なに……?』
 彼の意識は、油断すれば周辺へと溶け出し、
拡散して主体を失いかねない。
 彼が支配を失えば、魔力が暴走する。
 自我を保つ為にも、
“復讐心を軸として呪術を制御する”事に意識の多くを割かざるを得ない。
 同時に会話や駆け引きを行うのは、今の彼には難しい。


『君に復讐の道具を与えはした。
 それを最後まで扱いきれるなら、
 確かに君は願いを叶えるだろう』


 そして小男はジュンから目を逸らし、
月を見上げる。


「ふむ……そろそろ着いても良い筈なんだが。
 遅刻にはペナルティなんだがねぇ」





「ケネス! 分かるか!」
 揺れるジープの中、
右手でドアの手すりをしっかと掴んで体を固定し、
左手で衛星電話を握り締めながら満は叫んだ。


 見渡す限りの草原、ローカルの電波など当然ながらここには届かない。
 念の為にと準備してきた衛星電話が役に立った。


〔どんな魔術もHomeopathy(類似の理論)、
 ……つまり『見立て』が根底にあります。
 私にアフリカの呪術の知識は有りませんが、
 『見立て』という基礎から推察できることはあります。
 思うに、その大樹と刺青、石の呪具(フェティシュ)が
 『見立て』に関わるのでしょう〕


 少し悩む気配の後、
現代の魔術師は言葉を選びつつ、答える。


〔詳しい『見立て』の内容と理屈が分からない以上、
 強引に割り込んで『見立て』を崩すのが、
 確実で早い〕


「どうやれば、俺達でも割り込める?」


〔満さん、あなたには月の加護がある。
 月からのマナを、その奥に湛えている。
 多少の無理でも、あなたなら可能だ〕


「良く分からんが、臨機応変って事か?」
 後ろの席で必死に聞き耳を立てている如月が話に割り込む。


〔如月さん、以前に満さんが催眠術に掛かった話をしてくれましたよね〕
「おい」
――いつ話したそんな事――
 受話器片手に後部座席を伺い、満は半眼で睨む。


 かつて満はサーカスで暮らしていた道化師と戦い、
その催眠術に陥って敗北しそうになった事が有るのだ。


 口の軽い自称専任ドクターに言いたい事は大量に有るが、
状況を鑑みて今は飲み込む。


〔催眠術とは、魔術の前提技能です。
 それに掛かり易いということは、二つの意味が有ります。
 一つは、“満さんは魔術との親和性が高い”という事です〕


 英国で魔術に掛けられた事件を思い出し、満は眉根を潜める。


〔もう一つは“周りが見えなくなる程に一つの物事に集中出来る”。
 それを利用してください〕
「利用?」


〔貴方自身に暗示を掛け、『自身が月と獅子の化身』であると確信してください。
 その確信こそが、既に魔術として作用します。
 『月と獅子の権能』を持って、『人の器』から術式を奪い、書き換えるんです〕


「『奪う』……って、それは思うだけで奪えるのか?」


 ケネスは更に自身の考察を数言、付け加える。
 それを聞き、満は皮肉気に頷いた。


「やる事は、何時もと同じ、か」





 大樹の下に、一台のジープが突撃する。
「……っ!」
 満は歯を食い縛り、
急停車による一際大きな揺れに耐えた。
 悪路を走行してきた為、睡眠不足も祟って乗り物酔いが酷い。
 少しでもコンディションを保つ為、
満は車を飛び降りつつ、頭を振って気合を入れ直す。
 そして、前方を睨みつけた。


「ふむ、少々遅れてはいるが、
 許容範囲と言ったところか」
 そこには予想通りの姿が在る。


 小男との間は、掴みかかれば確実に押し倒せる距離。
 だが満は睨みつける瞳に力を入れるだけに留める。
 今、Mr.Xを殴り飛ばすことは出来ない。


「さて、準備は整っている。
 試合を始めようか。
 賭けるのは……」
「アフリカ全土の密猟者の命と、自然、か?」


 満は相手の言葉の続きを奪い取る。
 相手のペースに乗せられてはいけない、
既に言葉を交わすところからが戦いだ。


 小男はピクリ、と眉を動かした。
「……ほぅ。
 今回の試合は機密にしてあったんだけどねぇ。
 どこから漏れたやら」
「『天網恢恢疎にして漏らさず』、ってな」
 如月が朗々と謳い上げながら、満に並ぶ。
「てめぇの悪事はお見通しなんだよ」
 如月の顔もまた車酔いで青褪めていたが 力強さは消えていない。
 満の視線に気づいたのか、如月が小さく頷く。
“亨の事は言わなくていい”
 その意味に後押しされるように、満は踏み出す。


 Mr.Xの前のキッチンワゴンへと歩み寄り――
――その陰になっていた光景に、息を呑んだ。


 ジュンの体に描かれた陣図を、風と閃光が巡る。
 魔法と縁の無かった一般人の満ですら、
その異常性が視認出来る。





〔『見立て』を崩したと、相手にも確信させる行動は必要でしょう。
 ――でも〕
 ケネスの声は自然と固くなった。
〔あの『男』が背後に居るなら
 ――その方法すら、『フードファイト』に取り込む。
 あなた達を確実に巻き込むために、です。
 つまり、『勝利』を示す事が、儀式を止めさせる鍵になる。
 ――私はそう、考えています〕






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