11. 月時雨




月時雨(つきしぐれ)
――月明かりのちらつく時雨。



 2ndインターバル。


 満の控室として与えらえた建物の一室。
 三人揃った今の間にと
1stインターバルでのジュンの様子を
怜南が説明し……その最後に叫んだ。


「分からへん訳ない。
 うちかて両親殺されてんや!」
 怜南の両親は交通事故に巻き込まれて死んだのだ。
 加害者は当時は未成年だった為、
被害者の娘は相手の名前すらも知る事も出来なかった。
 恨むべき相手の顔すら分からない、
行き場の無い恨みは未だ彼女の中に在るのだろう。


 その絶望の隣で、満は黙り込む。


「……満」
 如月が肩に手を載せる。
「自分もそうかもしれない、って考えてんのか?」


 独逸での戦いの後、
二人は真奈美から『満の母親の事実』を聞かされた。
“満の母親は迎えに来なかった。
 園に預けて間もなく、事故死した“と。
 園長が言っていたのだ、
交通事故として警察が判断したのは間違いない。


 だが――それは本当に『事故』だったのか?


 満もまた、独逸を発つ前から
その疑問をずっと抱えていただろう。


「……おめぇ」
「俺は“両親が悪徳高利貸しからの夜逃げ蒸発”だったからな。
 “お前等の気持ちを本当の意味で共感しろ”、ってのは無理だ」


 今でも無責任な両親への恨みは消えなどしない。
 だが敢えて、軽い調子で肩を竦める。


「ま、それで親戚一同から
 高利貸しを怖がって引き取り拒否された結果、
 俺も今日に至る訳だが」


 今、自分の不幸を軽く笑い飛ばし、
二人の重荷を少しでも軽くできるのは自分しかいない。
 裕太が居ないのなら、
自分が道化となり、支えとなる。


「多かれ少なかれ、俺達は
 絶望も憎しみも抱えて生きてくしかねぇんだ。
 ……でも、ガキが抱えるにはちとデカすぎるか」
 苦笑いしてみせてから、満に向き直る。
「どうせ戦いながら余計な事、考えてたんだろ。
 自分の事でもあのジジイの事でも無く、
 ジュンとトオルの事」
「……!」
 はっとした表情を浮かべる満に、
藪医者は軽く肩を竦めてみせた。
「分からいでか」
 いくらアウェイとはいえ、
いつもの満ならペースの乱れはとっくに修正している。
 そしてさっきの母親に関する疑念にしても
今の満にとっては優先事項ではない。


「あいつに届く言葉は、見つかったか?」
 相手の性格など、長い付き合いで知り尽くしている。
 満は戦いの中でも、護るべき相手の事を考え続け、救おうとする。
 敵であろうと、対戦相手を想い、つながっていく。
 それはファイターとしては弱点かもしれない。
 だが同時に、戦いの突破口となる強さでもある。


「まぁ、な」
 満の目に確信めいたものが浮かぶ。
 それを認めた如月はにやりと笑う。
「そうか」
 ぱん、と背中を叩いて送りだす。


――俺達は止めたいだけじゃない――


 如月は思う。


――救いたいんだよ、『トオル』――
――今のお前を、お前を宿す少年ごと、さ――





 第3ラウンド開始直前。
 席に着くジュンの気配は肉食獣そのものだった。
 生存本能その侭に、
“外敵の喉笛を掻き切れる一瞬の機”を伺っているかの様だ。


 並んで席に着き、観客側に向く。
「人は皆、大義名分だの道徳だのを押し付けてくる」
 自分の過去の傷を抉りながら、満は言葉を紡ぐ。
「俺達にどんなに同情しようと。
 道徳と言う柵の中で暴れ出す悲鳴には耳を塞いで、
 そこから溢れ出した苦しみが自分に届かないように線を引く」
『あんただってそうだろ』
 ジュンの叫びに口元を歪める。


――ああ、確かにジュンからはそう見えるか――
 怒りを籠めた視線を感じ、満が隣を僅かに振り返る。
 途端、ジュンが息を呑んだように見えた。


「俺も、レナも、エーイチも、ガキの頃に親を失った。
 だがその失い方もそれぞれで、
 互いにその痛みを本当に分かる事なんてできない」


――だが――


「だが分かってもらえないからこそ、
 寄り添う誰かを求める」


 満の視線は怜南を示す。


「ジュン、お前にはもう、寄り添ってくれる人が居るだろう」


 これは『答え』だ。
 幼い頃、自分にとって特別だった『兄貴分』が、
時に態度で、
時に言葉で、
時にその握る手の温もりで、
必死に自分に伝えようとしたものの、本当の意味だ。


「分かってもらえなくても、
 在るが侭の自分を受け入れられる為に、
 哀しみへと踏み込んでくれる誰かを待つ為に、
 “俺達は、正しく生きなくてはいけない”」


――そうだろう、『トオル』――


 あの頃は未だ分からなかったその意味は、
彼が遺した意志は、優しさは、強さは、
今、自分の中に確かに刻まれている。


 ジュンは強く眉根を寄せ、口を開く。
「『ちゃんと、届いてたんだな』」


 それは英語でも人造語でもなく、日本語だった。


 意志とファイトの結果が現実にまで影響を与える、
魔力渦巻く儀式場(ファイト)に置いて。
 満の――そして如月と怜南の祈りが、
『トオル』を魂の奥から引きずり出したのだ。


「当然だろ」


――ああ、確かにあんたは、
  あの頃の俺達にとって、本当の誇りだったよ――


「久しぶりに一緒に飯を食うんだ。
 全力で食おうぜ」


 懐かしさと嬉しさ――それ以上の切なさが、
満の魂の奥底を揺らす。
 『トオル』であって『トオル』でない相手に、
かつて受け取った想いを返す。


――絶望(かなしみ)に対する答えを、もう一度『トオル』に返す――





 開始直前になり、怜南は如月と並ぶ。
 Mr.Xはぎりぎりになるまで現れないようだ。
「――レナ。
 ここに来る前にも一度説明したが。
 魔法を無理やり破れば、その反動がジュンの体を襲うだろう。
 そうでなくても、ファイトの負担は選手の体を蝕む」
 冷静に語る如月を、怜南は伺う。
 虚飾でも、過信でも無い。
 その表情に刻まれているのは、
園を卒業してから重ねた相手の年月と信念だ。
「――だから、介抱を頼む」
「うちのかつての本業や、任せとき」
 そう答え――怜南は表情を緩めた。


「――エーイチは“ホンモン”や」


「え?」
「資格とか、関係ない。
 ずっと現場で、必死に患者に向き合うて、救おうとしてきた。
 その在り方は、倫理は、本物や」
「お前……」
「胸張ってええ」
 隣の幼馴染は、くしゃりと顔を崩し。
 だが直ぐに表情を改め、会場を見つめる。
「……ありがと、な」
 感情を抑えた呟き。


――素直や無(の)うて――


 けれど、彼の頬を伝う涙は隠せてなくて。


――だけど分かり易ぅて――
 昔から、それは変わっていない。


「どーいたしまして」


――全く、知らん間にえぇ男になりよって――





「……迷いが無くなったな」
 もう、渦を巻く雨風に集中を乱されない。
 満の目は閉ざされても、
心眼に従ってスプーンが口元に運ばれていく。
「これまでのラウンドで、給仕のタイミング、
 皿の大きさ、盛られる量、全てを覚えたんだ。
 完全に息が合った今、もう肉眼だけに頼る必要はない」
 如月が頷く。
 これこそ満の、元日本チャンプとしての技巧だ。


「……ジュン」
 その一方、ジュンのペースが乱れ始める。
 スプーンで刻んでいた民族の唄は、
今はもう聞こえない。


「……どういう、ことだ」
 眉根を寄せ、事態の推移を見極めようとする小男の表情に、
如月は愉快な気分になった。
 右手の人差し指で鼻下を啜り上げるような仕草と共に、
言い放ってやる。
「知らんな」
 事実として、理屈など一切知りはしない。


 だが、如月の中には確信が有る。
 満の戦いは、言葉は、
確かに『トオル』を宿した少年の絶望(かなしみ)の一点を穿ったのだ。
 その穿った先で待っていた『トオル』が答えた、
唯それだけだ。





 魔力が大きく削がれたのをジュンは感じた。


 『自分の中に別の自分が居る』という不快感、
呪術を維持するが故の疲労、
様々な負荷がジュンを蝕んでいく。


 幸か不幸か、
この呪力を維持する状態そのものが
大食いを可能にしていた。
 “呪術の集中で消費されたエネルギーを
食べ物で即座に補い、そして放出する”
 その過程はジュンにとっては未知の感覚だ。
 際限なく食えるというこの状況は、
だが、あの小男の狙い通りでもあり、
こうして見世物になっている現状には憤怒を覚えるしかない。


 心の裡の混乱を、ひたすらに怒りで塗り潰し、
第一ラウンド、第二ラウンドと、ただ食べ続けた。
 その絶望へと全てを押し流す様に。


 だが、今から僅かに前。
 怜南の叫んだ名に、満の言葉に、
自分の中の、自分でない何かが反応し、
そして――


『ちゃんと、届いてたんだな』


――口を開かせた。


 自分は、『自分の中の何か』は、
何を口走った!?


 男の国の言葉なんて知らない、学んだことも無い。
 だが確かについさっき、自分は満の言葉に応えた。



 そして、ジュン自身もまた、満の『正しさ』に揺れて――。


『くそぉっ!』


 次の皿が運ばれるまでの一瞬にジュンは叫び、
身を乗り出して睨み――。





 次の皿を求める満の手が上がった。
 それにつられ、宿り木のスプーンが持ち上がり――


――その先に風が舞い、雨が逆流し、曇天を穿つ。
 そして、差し込むのは。


「月が……!」


 怜南が呟き、空を見上げた。


 人工の光に照らし出されたその場所に
柔らかな慈雨の如き月光が降り注ぐ。
 そして虹の輝きを放つ光輪を出現させる。





月光が照らし出す満の姿に、
その刻む音に、表情に、運ばれていく料理に、
ジュンは息を呑んだ。
 雨の中、その瞳を閉じて
自身の勝利を信じる折れない心がそこにある。


 それは、自分が敬意を払う神聖なる大樹の在り様に似て。


『……我らが獅子の大樹』
 敬い、愛し、信じた大樹の姿を幻視(み)た。
 雨上がりの満月を天に、
その全身から魔力を秘めた虹色の輝きを
周囲に放つ一瞬を、幻視した。


“空から降り注ぐ雨が、大地を潤し。
 その雨を空へ還す役目を持つ聖獣、月の獅子“


 部族が秘めた伝承の一節が脳裏を過り、
惧れが彼の頑なな心の片隅を砕く。


「……どうした?」
 満の声に、ジュンは自分の手が止まっていた事に気づく。
「食おう、って言ったんだぜ?」
 瞳を閉じていようと、
スプーンの音やカウント時の物音で気付いたらしい。
 にや、と笑う相手の様子に、苛立ちが増す。


――少しぐらい止まっても余裕だ――


 少年は振り返り、得点ボードを見――
――その枚数が並んでいる事実に目を剥いた。


――いつの間に!?――


 慌ててスプーンを掴み直す。
「ガキの頃以来、なんだからさ」


「『そうだな、満』」


 自分の中の何かが、再びその言葉に応える。
 そこにあるのは『喜び』。
 自分の中の絶望(かなしみ)を埋めるように、
“それ”は膨れ上がる。


――誰だ? ――


 喰いながら、己の裡に問い掛ける。


――お前は誰だ!? ――


――『俺は、お前だよ』


 返答と共に、意識に郷愁が溢れだす。
 だがこの感情は『自分』のものではない!


――『やっと、気づいてくれたんだな』


――やっと、って、何を訳分からないことを!
  この良く分からない戦いの所為か!――


――『俺は、お前が生まれた時から一緒だったんだぞ。
  そして、これからも』


 ジュンの戸惑いも恐れも、呑まれていく。
 もう一人の『自分』の感情と記憶の奔流に、見えなくなっていく。


 それは、外から見たならば束の間の事。


――『さぁ、この意識が、記憶が、
  本当に『ジュン』という鋳型に熔ける前に』』


 『もう一人の自分』が、ジュンに代わって笑む。


「『……お前こそ、余裕持ち過ぎだ』」


 日本語が、零れる。


「『ここからは、俺とジュンの二人分だぞ?』」


――『信じてる。
  だからこその全力で』


 おもむろにスープ皿を手に取る。
 そして、今までで一番の速度で食い始めた。





「……ね、あのスプーンの持ち方」
「間違いない」
 怜南の言葉に如月が頷く。
 まるでバットを持つような持ち方は、
生前の亨と同じだ。
「目覚めたんだ、『あいつ』が。
 ……って手加減しろよ!?」
 最前のジュンの最高のスピードすら上回る、凄まじい勢いだ。


 ジュンの哀しみの唄に、
亨の純粋で力強い希望の詩が重なり、唱和していく。


 怜南と如月の僅かな会話の間に、差が詰まっていく。
「……でも、楽しそうや」
 怜南の言葉に、僅かな嫉妬の色が乗る。
「ほんま、何が掛かってるのか覚えてんの?」
 懐かしさに如月は思わず噴いた。
 『あの頃』、俺達三人が釣るんでいると、
怜南はそれを冷ややかに見ていて――。


――違う。今なら分かる。


 コイツは、寂しかったのだ。
「男ってのは、いつだってガキだからな」
 自嘲を滲ませて、元少年は呟く。
 でも、隣に居る女性の本当の願いが分かる程度には
自分は少しは成長できたんだろうか。


「生まれ変わっても、変わらねぇもんだな」


 満が生み出す柔らかな風の中で、
二人はファイトの頂を目指す。
 その歩みは気高く、まるで獣の王(ライオン)のようだ。
 そう、如月は思った。





――ああ、そうだ。――


 ギゼリを掻きこみながら、満は笑った。


――あの頃。ただ必死に生きて叫んでいた頃。――


 そう、こんな風に園の皆で一緒に飯をかっ食らっていた頃。――


――あんたは最高の兄貴分だった――


 満はあの頃、亨に守られて生きていた。
 そして亨が死んだ後も。


――あの『赤い靴』は、俺にとってもあんたの遺した道標(しるべ)だった――
――その道標があったからこそ、俺もたくさんの園の子供(なかま)を守れたんだ――


 そのしなやかな背なを追い、
これまで満は生きてきた。


 積み上げた借りは、世界を埋め尽くす程で。
 受け続けてきた恩は、海ですら蓄えきれず。


 でも今、満を突き動かすのは感謝ではない。


 満と『トオル』、二人を食へと突き動かすのは懐かしさと喜び。
 『ジュン』という新しい弟分を、戦いを通して救おうとする願い。


 そして――この、
本当なら有り得ない奇跡に終わりが来る予感と切なさ故に。





44:45


 ニャニャティの音が響き渡り、勝者の手が上がる。
 その手に集った呪力は――


――虹色の燐光まとう澄み渡る風となり、
誤った雨季を終わらせ、正しく乾季をもたらす使者となる。


「俺の胃袋は宇宙だ」
 戦いの勝者は高らかに告げる。
「アフリカの夜には、月が一番だ」


 そして雨雲は大気へと溶け、大地に遍く月光が注がれていく―――。





19'/09/01 UP





     



 このページについての、ご意見・ご感想はUraraまで。
 この小説の文責はUraraに、著作権は『フードファイト』製作スタッフとUraraにあります。

inserted by FC2 system