12. 翠雨




翠雨(すいう)
――青葉に降り注ぐ恵みの雨。



 辺りは静まり返り、
スポットライトは消え、月灯りだけが煌々と照らす。



「『ったく、焦らせるなよ』」
「あれだけ喰っといて良く言うな」


 席から崩れ落ちたジュン
――いや、今の意識の主の名で呼ぶなら『トオル』か――を、
満は跪いて覗き込む。


 お互いにずぶ濡れなのも構わず、
晴れやかに笑い合う。
 そこに怜南が飛び込み、
『トオル』を抱き締める。





「……お前達、知り合いだったのか」
 観客席でMr.Xが呆然と呟く。
「調査が間違っていた?
 裏切り者が居た?」


 如月は舞台の上の三人を庇うようにその前に立つ。
「お前には分からんさ。
 自分の絶望(かなしみ)しか見えてない奴に、
 奇跡なんて起こせやしない」


 そうだ。
 これは間違いなく奇跡だ。
 自分達が、怜南が、そして『トオル』が互いに思い続け、
そして一人の少年を救おうと足掻いた末に起こした奇跡だ。


「『奇跡』、か」
 その時、Mr.Xの瞳が複雑な色を宿した。
 否定? 拒絶? 羨望?
 いや――如月にはそれが、『渇望』に見えた。


『私を絶望させないでくれ』
 かつて深夜特急でMr.Xが言った言葉を思い出す。


 決して満たされぬのがフードファイターの資質であるならば、
どんな奇跡ですら本当の意味でファイターを満たすことは無い。
 満たされることが無いと知りつつ、
彼らは求め続けるのだ。


――哀れなもんだ――


 如月の唇は、無意識にそう動いていた。





「『トオル』!」
 怜南は込み上げる熱い想いをしゃくりあげるので精一杯だ。
「う、うち、うち……」
「『悪ぃ。
 先に逝くなんて、済まなかったな』」

 怜南は被さるように抱き付いていたが、
その言葉に顔を上げた。

 唇をぐっと噛んでから、
震えるように言葉を絞り出す。
 若々しい少年の頬を、月光を宿した雨粒が伝う。
「阿呆、ほんまに阿呆や。
 すっごい辛かったんや、寂しかったんや、逢いたかったんや!」
「『ほんと、悪ぃ、『俺の月の女神』。
 償いようがない……』」


 セレナ――月の女神。
 二人きりの時だけ、トオルはそう呼んだ。
 怜南と亨だけが知ってる呼び名――
――『トオル』である証明。


「だから、だから決めてたんや!」
 今にも崩れ落ちそうな体を支え、
怜南は声を張り上げた。
 幼い頃、遺影の前で言えなかった想いを、
今、本人へとぶつける。


「また見つけるって!
 生まれ変わっても、もう一度、あんたに逢うって!
 信じてた、信じてたんや!」


 かつての少女の想いは、そして今、少年に届く。


「『そっか。
 ちゃんと、俺を見つけてくれたんだな。
 見つけて、俺を助けてくれた』」





 満は抱き合う二人を見つめていた。
 恐らく、互いに自覚は無くても
再会の予感はあったのだろう。
 怜南も、魔法など使えなくても、
心のどこかで亨の存在を感じ、
ケニアへと導かれたのだろう。




「――業(カルマ)、つったかな」
 満はケネスが言っていた言葉を思い出す。
 冷静を装っているのに、
満の声は胸の奥の震えを映して、柔らかに滲む。
「人は今世での行いが、来世に影響するんだそうだ。
 トオルは間違いなく、誰から見たって正しく生きてきた。
 だからきっと」
 業は奇跡となって、もう一度巡り会わせたのだ。
「『……俺、さ』」
 少しだけ目を閉じて思い返す素振りを見せてから、
ケネスは頷いた。
「『願ったんだと思う。
 いつ、どこでかは思い出せないけど。
 何も無い闇の中に呑まれながら、
 それでもレナに逢いたいって。
 もう一度、もう一度逢いたいって』」

「それで、もう一度、生まれ変わってきてくれたんやね。
 うちが生きてる、その間に」


 満は零れ落ちそうな涙を、見上げる振りで堪える。
 もう逢えないのだと理解していた筈なのに、
自分もまた、
こんなにも彼を慕って、逢いたいと思っていたのだと。
 これは怜南と亨が起こした奇跡で、
自分はそのお零れに預かっているのだとしても。
 それだけで自分さえも満されていく。


「ねぇ、うち、いっぱい話したいことあるんや。
 あれからほんまに色んな事があったんや」
「そうだな、俺達も、つくし園にも、な」
 如月も僅かに顔を『トオル』に向ける。
「これからはまた、いっぱい話せるな」


「『そっか。
 ……でも、ごめん』」

 『トオル』は申し訳無さそうに、口を開いた。




「『俺が『トオル』でいられる時間は、そんなに長くない』」




 満は、怜南は、
そしてこちらに背を向けて小男と対峙する如月も息を呑んだ。


「『この体は『ジュン』の物だ。
 既に一度、人生を全うした俺が自由にしちゃ、
 だめだろ?』」


 如月が弾かれた様に舞台に飛び乗り、
『トオル』を覗き込む。


「で、でも、了解を得て借りるとか」
「私からジュンに頼むわよ。
 偶にでいいから貸してって―――!」


 必死な如月と怜南に、『トオル』が笑う。
 その困ったような、だけど頑固な意志を覗かせる笑みは、
かつての記憶の中の亨とそっくりだ。


「確かに、『トオル』の言う通りだな」
 満が苦し気に笑顔を作る。
 これは本来、在ってはならない奇跡なのだ。
 人々が前世を思い出したり、
前世の自分が勝手に体を乗っ取ったりしたら、
人間社会は根幹から崩れてしまう。
 ましてやジュンは、『トオル』の今の姿なのだ。
 それを否定するのは、
このファイトでぶつけ合った想いを否定するのと同じだ。


「満まで何を言ってんだよ!?」
 如月が必死に食い下がる。
 満は自分の胸倉を掴む如月の手が、
小刻みに震えているのを見た。


“ずっと自分が殺したと思っていた相手が、
どんな形であろうと現世に戻ってきた”
 その事実に縋りたい友の気持ちが痛いほどに伝わってくる。


「エーイチ、それは、『正しくないだろ』?」


 目の前の幼馴染の姿が、涙で滲んで見える。


――そうだ、どんなに苦しくても、
  俺達は正しく生きなくてはいけない。
  それが園の皆残してくれた、
  『トオル』の信念じゃないか――


 如月は意志の力を振り絞る様に、
胸倉から手を放した。
 如月だって分かっているのだ、そんなことは。
 分かっていても悲鳴を上げざるを得なくて、
満にそんな『我儘』をぶつけざるを得なかった、
ただそれだけなのだ。


「『エーイチ、しょうがないんだ。
 それに頑張っても、『俺』にも止められないんだよ。
 ――『俺』は、『俺』の記憶は、
 『ジュン』の中に溶けて、一つになる』」


「……嘘」
「『魂の防衛本能、みたいなものさ。
 『ジュン』が俺に気づいた時から、もう始まってる』」

「トオル!」
 その言葉に如月が慌てて覗き込む。
「あの、『かすみ』の事だ!」
 その言葉に、苦い笑みを浮かべていた『トオル』の顔が引き締まる。
「『……かすみは、元気にしてるのか?』」
「ああ」
 かすみが卒園後にボランティアとして戻ってきた事、
成り行きで自分が亨に成り済ましていること、
婚約者が日本有数の財閥だということ、
そしてとても幸せそうなこと――。
 掻い摘んで、だが必死に伝える。
「『そうか。
 エーイチ、ありがとうな』」

 ありがとう。
 その言葉に如月の顔がくしゃり、と歪んだ。
「『かすみの事を頼むよ、『お兄さん』』」
「お、おぅ、任せとけ」
 拳で涙やその他を拭いながら、大きく頷く。


「『ミツル』」
 『トオル』の視線は、満へと移る。
「『止めてくれて、ありがとな。
 『ジュン』にもちゃんと、言葉は届いてる。
 “いつもレナが自分を見てる”って』」

 改まって礼を言われるのが照れくさくて、
それ以上に近づく別れが辛過ぎて、
泣き続ける如月の髪を誤魔化すようにくしゃくしゃにする。
「こいつのいじめから何度も助けてくれただろ?
 こんなのお返しにもならねぇよ」
「『……大人になったな』」
「『トオル』が子供になっただけだろ」
「『それを言うなよ』」
 くす、と笑ってから、ふと真剣な目をする。



「『……『ジュン』の体と、『ジュン』の経験を借りてるからだろう。
 ミツル、お前が色んな経験をして、
 色んな縁をつないできたのが分かるよ。
 良いものも悪いものも、本当にたくさんの縁だ』」

 満は一言も聞き漏らさぬように、耳を近づける。
「それは、魔術的な意味で?」
 夢の中に出てきた時のpathを思い浮かべる。
「『それもある、だけど……。
 さっき、ミツルが言った『業』、って奴だと思う』」

「そうか」
「『その中で、一番強いつながりを、
 その男との間に感じる』」


 『トオル』が指さした先に居たのは。


Mr.X
 満がゆっくり立ち上がり睨みつける隣で、『トオル』が問う。




「『あなたが、ミツルの父さん、だね』」




「……!?
 『トオル』、何を言って……」
 満の声が上ずったのは涙の所為だけではない。


「全く……。
 今回は調子が狂う事ばかりだな」
 Mr.Xはわざとらしく溜息を吐き――


「その通りだ」


――頷いた。


「折角の報酬に用意した台詞を、先取りしないで欲しいもんだ」





 小男からの重圧から守る様に、
レナはその腕をいっぱいに伸ばし、『トオル』を庇おうとする。
「『……レナ』」
 その小さな手に持ち上げられながら、
『トオル』はゆっくりと微笑みかける。
「『『トオル』から、最後のお願いがあるんだ』」
「さいご、なんて言わんといてや」
 泣き続ける相手に対して、少年は困ったように笑う。
「『『ジュン』の事、変わらずに気に掛けてほしい』」
 怜南は必死に頷く。
「『『ジュン』には俺の記憶も、知識も増えるんだ。
 きっと、目覚めた時から戸惑い続けると思う』」

「本当に、いつも自分の事は後回し、やねんね」
 それが亨の本質で、怜南が愛した理由の一つなのだ。
「『ごめん、でも頼めるのはやっぱり、君しかいない』」
 怜南は必死に笑顔を作った。


――あなたはずっと、私達を護ってくれた。
  私達の心を包んでくれた――


――今度はうちの番。
  うちは、ジュンも、トオルも、守る。
  あなたが護ってくれた以上に、護ってみせる――


――きっとできるはずだから――


「……任せてや。
 ジュンの中には、トオルも居るんやね。
 もぉ、何も寂しゅう無いわ」


 精一杯の作り笑顔で答える怜南に
『トオル』は「『もう少し顔、近づけて』」と囁く。
「なんや?」
「『君に逢えてよかった。
 ありがとう、俺の『月の女神』」」


 『愛してる』よりも先に『ありがとう』。
 そんなこと、怜南にとっては問題ではない。
 なぜなら、“亨が怜南を愛してる”なんて真実、
彼女はずっとずっと前から知っているのだから。


 押し付けられた唇は酷く冷たくて、
ギゼリの匂いがして、
苦くて、胸が痛くて。


 一生分の甘い、雨上がりの虹の様に煌めくキスだった。





「てめぇが、俺の?」
 これがMr.Xが言った事ならば、
或いは相手からの伝聞ならば、疑う余地があった。
 だが、『トオル』の言葉では――。
「その通り」
 雨が止み、月光が静かに照らす街の中。
 彼の佇まいは静かで、奇妙に自分達へと迫る。


 これがつい先ほどまで、
予想外の出来事に動揺していた小男か?
 その存在感は是迄と同じ
――いや、それ以上に思える。


 奇妙な風が吹いた。
 それは彼の周囲を巻き上げ、
怨念と悲鳴めいた音を轟かせ、
急激に周囲を冷やしていく。


「お前は日本史上最大の超宇宙と、
 アメリカ大陸史上最強の牙を両親に持つ、デザインベビーなのだよ」


 手の中のスプーンを握り直す。
 雨水と冷や汗で滑り、取り落としてしまいそうだ。


 儀式を終わらせる為に注ぎ込んだつもりだったが、
それでも月と大樹の魔力が自分の中に未だ残っている。


 その残滓が満に知覚させる――
――Mr.Xの中の絶望(かなしみ)と、
それに伴う強大な『業』の存在を。


「ま、君の妹に比べたら余りに欠陥品であるがな」


 その一言が、小男による呪縛を解いた。
 突き動かされるように満が叫ぶ。
「――妹は、妹はどうしている!?」
「元気にしているよ?
 君のように時間を掛けずとも十分に強いのでね。
 普通に生活しているさ」
「……どうだかな」
 満の後ろで、如月が吐き捨てる。
 小男の言う『普通』が、
世間一般の『普通』と同じ保証など何処にも無い。
「妹は」
 どこだ、そう言おうとする満の目の前に、
小男の指が突き付けられる。


「そんな口を利ける立場なのかな?」
 静かに見つめ返す眼力は、
あの深夜特急の時の不気味な圧力そのままだった。
「君の恋人やカラスはどうしてる?」
「お前の知った事じゃない」
「ふん、どうせ私の裏でも掻こうとしてるんだろうがね。
 舞台の裏を覗くのは、ルール違反と見ても構わないね?」


「な……?」
 満が身構えるのと同時に、
周囲の至る所からから金属を打ち鳴らすような音が響いた。
 Mr.Xの従える者達が銃を構えたのだ。


「下手に動くと、君の友達が怪我をすることになる」
 怜南と、彼女が抱える少年に向けられた銃口に、
満はその拳を止めた。
 『トオル』と唇を重ねていた怜南も、その音に顔を上げる。


「これは密猟者共が使う粗悪品ではない。
 どんな悪条件でも誤作動などせぬよ」
「さすが世界に誇るコングロマリット、
 ご自慢の軍需部門の品ってか」
 如月が恋人達を庇うように立ちはだかる。
 多少は腰が引けていようと、
瞳は充血して髪はぐちゃぐちゃになろうと
如月の表情は真剣だ。
 視界の端に友の動きを確認し、
満は小男に向き直った。


「私は手荒な真似は好きではない」
 一度銃口を下げるように、小男が指示する。
「だが、ペナルティとなれば、致し方ない。
 韓国支部の者達の面子もあるのでね」


 『韓国』。
 その言葉に自分の顔色が変わったのを、満は自覚した。
――真奈美達の動きが、筒抜けになっている!? ――
 小男は青褪める満を視線で威圧する。


「助けたいのならば、早く彼女たちの下に駆けつけるのだな。
 猶予は無い」
「てめぇ……」


「満、今は引け。
 悔しいがこいつの言う通りにするしかない」
「車、乗って。
 空港まで直ぐに飛ばす」
 背後からの如月と怜南の制止に、満は頷くだけで必死だ。
「ちく、しょう」
 直ぐに踵を返し、
如月と一緒に少年の体を抱き上げる。


「間に合うと良いがな」
 背中に嘲笑を感じながら、満は必死に走った。


「レナ、頼む!」


――真奈美さん、裕太、九太郎! ――


 満はジープに少年を担ぎ込みながら、
心の中で絶叫した。





――絶対に、無事でいろよ! ――





19'/09/06 UP





     



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