09. 電雨




電雨(でんう)
――夏、稲光と供に降る俄雨。



「ジュン……!」


 ジュンの体中に描かれた幾何学模様、
その上を青白く明滅する雷が這い回る。
 周りを風雨が渦巻き、
彼の髪や装身具を激しくなぶる。
 光に照らし出されるジュンの口元はぎゅっと結ばれ、
その目は虚空の一点を睨み続ける侭だ。


「倫敦で見ただろう、
 魔法を自分に取り込む姿を。
 理論的にはあれと良く似た現象だそうだ。
 Brown Anisは自身を炎と同化する事でその力を得たが、
 彼は自身と周囲の境界を無くす事で水を操るそうだ」


 Mr.Xが片手を上げる。
 その指示に応え、背後から現れたのは
沢山の機材を抱えた黒服達だ。
 木材を立て掛け、紐で結び、『会場』を設置し始める。


「つまり、雨の魔法使い、ってとこか」
「雨だけじゃあない。
 この大地の水全てが『彼そのもの』になる」


 ジュンの呪術に引かれたか、
空より雫が落ち始める。


『今回、ご用意させていただくのはGitheri(ギゼリ)』


 緊張が張りつめる中で、録音されたナレーションがワゴンから流れ始める。


「……このナレーションは誰宛てなんだ?」
 訝し気に如月が呟き、怜南が振り返る。
「エーイチ?」
「本来、フードファイトの口上は
 金持ち共の食欲をそそり、
 その賭けに対する意欲を上げる為の演出だ」


 だがここには観客は居ない。
 如月は周りを見渡す。
 黒服達の土木工事による騒音や照明に対して
起き上がって様子を見に来る住人さえ一切居ない。
 近隣の沈黙はいっそ不気味ですらある。
「そうだ、Mr.Xの戦いには俺達以外誰も居ないのに」


『元はバンツー系キクユ族の食べ物でしたが
 今はケニア全土を代表する豆料理となっています。
 豆だけのシンプルなシチューですが、
 ジャガイモや牛肉を加えられることもあります』


 ワゴンに備え付けられた携帯TVから
ナレーションと共に、調理過程の映像も流れている。


「いや」
 答える満の視線はキッチンワゴンそのものに向いている。


「確かに5年前の戦いでは、カメラさえ仕込まれていなかった。
 だから俺達は、その後の戦いもずっと
 こいつの為だけの自己満足の戦いだと思い込んでいた」


 深夜特急の戦いで隠しカメラやマイクを探し回った件を思い出す。
 あの時は結局、内通者の隠し無線マイクが有るだけだった。


 否、“無線マイクが有った”じゃないか。
 そして駅弁マニアの如月が、
色んな種類の駅弁を前に語り出さずに居られない性格も――
彼による解説が始まる始まる事も、計算されていたとしたら?
 あれを“Mr.X以外は聞いていない”と誰が明言できる?


 満は更に視線を巡らせる。


――キッチンワゴンの中に並ぶ調理器具の陰で
――運転席のドライブレコーダーに偽造して
――近くの建物の2階から望遠機能付きで
高機能カメラが覗いているのに。


Mr.X、お前が所属する『ヘパイストス』こそ、本当の『観客』、か?」
「君達、もう少し、早く気付くべきでないかね?」
 はぁ、と深く息を吐き
小男は二人を見返す。
 どこか芝居掛かった仕草と口調は
憐みを装いながらも凛然としていて
全てを跳ね除ける。


 と、その表情が試すような笑みに代わる。
「『臨床データ』、と彼らは言っていたがね」
 自分を生み出した組織にとって
自分はどこまでも観察対象だ。
 ……だが。
 満は静かに小男の言葉を訂正する。
「いや。
 単なる臨床データ、じゃないな。
 それならただ俺が喰う姿だけでいい」


――この嫌悪さえ呼ぶ過剰な演出は、
――念を入れ過ぎる程の伏線は、
――肌のひりつくこの感覚は、間違えようが無い。


「食への欲望。
 喪失の代償。
 他者を遊戯に掛ける愉悦。
 ……それを望む奴が居る」


――NYのカモッラたちの賭博場で。
――宮園食品の地下防空壕で。
――香港マフィアの拠点ビル地下で。


 これまでに経験してきた会場で渦巻く感情と同質の闇を、
Mr.Xの仕込むファイトは濃厚に纏っている。


 『ヘパイストス』の本部からも厭われる、
Mr.Xの立場から考えれば、答えは一つ。


「――『アサカ』」


 満の言葉にMr.Xは目を細め、
顎をしゃくって続きを促す。
「俺のデータを望む奴等だけじゃない。
 フードファイトはそいつの遊戯でもあるって事か」


「ふぅむ、ぎりぎり合格点、かね」
「分かるようにヒントばら撒いたんだろうが」
 満の冷めた言葉も、Mr.Xは平然と肩を竦めて往なす。
「もう少し、早い時点で気づいて欲しかったがね。
 ――準備は整ったか?」


 Mr.Xの視線の先で、即席の舞台が出来上がっていた。
 重量のある木材が雨避けとして組み上げられ、
その下には重量のある木の机と椅子。
 吹き込む雨風に吹き飛ばぬようにと、
最初からクロス等は掛けられず、
直接、金属の皿とスプーンが並べられている。


 為すべき事は分かっている。
 躊躇い無くステージへと歩き出す満の腕を、
如月が片手で掴む。
「――待て」
「どうした?」
 如月は黙って白衣のポケットにもう片方の手を入れ、
薄い長方形の木の箱を取り出した。
「イギリスの戦いの後、裕太が会長に頼んで造らせた特注品だ。
 独逸の戦いには間に合わなかったが、
 今回こそ役に立つ筈だ」
 如月が指で蓋を押し開ければ、
中には木製の箸とスプーン、
持ち手が木のナイフとフォークの一揃いが収まっていた。
 にやり、と笑うと満はスプーンを掴む。
「魔法使いと戦うなら木の杖ならぬ木のスプーン、か」


“貴方自身に暗示を掛け”


 ケネスの言葉を脳内で反芻する。
 今、木のスプーンを元に、自分に暗示を掛けるのだ。


 空を見上げる。
 ジュンが呼んだ暗雲の向こう、見えない月を想う。
 否――想像し、そこにあると『確信する』。


“神様の風に乗って、月の光のかけらを持って”


 記憶の奥から、お伽話の一節が浮き上がる。
 確か『月の兎』だっただろうか。
 そうだ、十年も前に風華が話してくれたんだ。
 そう思い返すだけで不思議な事に、
手の中のスプーンから柔らかで涼し気な光の様な力を感じる。
 『月の光のかけら』、そう確信する。


“『月と獅子の権能』”


 そう、自分は『兎』ではなく――。
 視線を下ろし、遠くを見渡す。
 阿弗利加の大地の何処かに身を潜め、
機を伺い続ける王を想う。
 その魂を目の前に思い浮かべ、更に自身と重ね合わせる。



 普段なら我に返り、
笑ってしまうような妄想かもしれない。
 だが『フードファイト』という
最も馴染んだ『非日常』という舞台の上では
満の意志は果て無く高められ、想像を確固たる物とする。


 満の周囲で風が巻いた。
 彼の意志を受け、スプーンが呪具として覚醒する。
 機内食の割り箸ですら満の手に依って魔を祓う力を得るなら、
“正しき儀礼を経て刈り取られた宿り木”から作られたスプーンの力は如何ほどか。
 ジュンの作り出す呪術に干渉し、
其の意味を“獅子心王”たる満のの意志に沿って改ざんしていく。





 少年は呪術に呑まれぬよう、暴走せぬよう、
自身の意識を慎重に操作していた。
 自分の外の起こっていることに構う余裕など無いというのに。


 ここに誘った小男の奇妙な動きを咎めている間に、
ジープが乗り込んできた。
 降りてきたのは怜南と、その幼馴染という二人だ。
 そいつらが小男と日本語で何かを話している間に、
何処からともなく黒服が沸いてきて舞台が出来上がり。


 ……そして、男がスプーンを握った途端。
 自分の呪術が外からかき乱された。
 男がスプーンを手に舞台に上っていく間にも、
自分の呪術が端から相手の『色』に染まっていく。


――なんだ、これは?――


 初めての異常事態に戸惑ったのも束の間、
少年は唐突に理解する。


 この男は、自分の呪術を邪魔しに来たのだと。
 自分に残された最後の聖域たる呪術を穢し、奪い、
復讐を無に帰す為に来たのだと。


『ふ、ふざけるなぁぁぁっ!』


 ジュンは自分達の民族の言葉で叫んだ。
 叫びが、怒りが、自身の呪術を揺らし、
巡る呪力を黒く染めていく。


「ジュン、お願い、止めて!」


 呼び掛けの声にちら、と視線を送る。
 怜南の姿を認め、
だが、少年は止まらずに舞台へと駆け寄る。


 男は舞台の上でスプーンを少年へとかざし、
少年には聞き慣れぬ異国の言葉で宣言する。
「食え。
 この戦いの勝者が、この魔法の主だ」
 その言葉に、怜南のもう一人の連れが叫ぶ。
「怜南、訳せ。
 『あいつ』に伝えてくれ」
「う、うんっ」


 怜南の訳に、ジュンの表情は更に強張った。
『邪魔を、俺の復讐の邪魔をするな!
 なんのつもりだ!』
 ふ、と男の口角が上がる。
「おめぇを止めろと、頼まれたのさ」
 その表情は不敵で、迷いなく、だが――真摯だ。
 ジュンが初めて見る類の表情だ。


『止める?
 馬鹿げてる!』
 動揺が辺りの雨風を揺るがし、ほんの僅かに勢いを削いだ。
 ……集中が乱れた分だけ、相手に主導権を奪われたのだ。





「『ジュン』を刺激し続けて暴走させれば、
 魔法は奴の目的通りには動かない。
 だがそうなれば」
「……このアフリカの大地、その広範囲が無茶苦茶になるだろう、ねぇ」
 如月の呟きに、Mr.Xは笑う。
「無論、私はそんな事を望んではいない。
 この大地の自然、動物、そして罪無き子供達、
 それ等を巻き添えになどしたくはないのでね」
「ふ、ふざけてんやないで!」
 怜南がふつりとキレた。
「もしこんままジュンが儀式続けても、
 そん時もどんだけの死人出っか、分からへんやろ!!」
 幼い頃の訛りそのままに、小男へと詰め寄る。
「死ぬのは、密猟者だけだよ?
 彼は全ての密猟者を殺すだろうが、
 それ以上の暴走などさせまい。
 ――例え、制御で気力を使い果たして死んだとしても」
 怜南の顔が蒼白になる。
 ショック故ではない、 なぜなら睨みつける彼女瞳は強い光を宿している。
 怒りが閾値を超えて、言葉に為らないのだ。


 憐れむように、小男は少年を見る。
「元々、彼は一族の呪術師――と言えば聞こえは良いが、
 その実は『災いが起こった時の人柱』として育てられたのだよ。
 “一族が滅びても、その役目を果たせず朽ちるのみ”、
 その苦しみは誰にも理解できまい?
 ならばせめて、彼の望むように復讐の果てに尽きさせてやるのも、
 慈悲では無いかね?」
「勝手な言い草を……っ」
 如月が小男の詭弁に拳を握り締める。


「……殺させへん」
 震える声で怜南が呟く。



 ジュンの苦しみを怜南はずっと隣で見ていたのだろう。
 彼を支えようと、彼女は生き方すら変えたのだから。
 全てを理解出来ずとも、彼女はジュンの事を知っている。


 同時に。
 彼女は知らぬうちに、『彼』の傍にいた。
 ジュンの中の『彼』を、想い続けてきた。
 そして、“見つけた”。



「ジュンに――『彼』に、誰も殺させへん!
 あんた等に『彼』を殺させへん!」


 きっと振り返り、舞台を睨む。


「ミツル!
 正直、うちには分からへん事ばかりやけど。
 やけどあんたは分かってんやろ!」


 祈る様に右手を胸を当て、
血を吐くような声音で、願う。


「絶対に、絶対に、助けてや!」




 その声は余りに切実で。
 如月はその声音に、怜南の悲鳴を――『恋』を、聞いた。


 ジュンは、恋敵の生まれ変わりで。
 怜南もその事実を知って、
その恋を――永遠の愛へと昇華したそれを、
ジュンの中を向けている。


 無論、悲鳴の中には弟分であるジュンへの友愛もあって、
今は未だその二つは混濁して
怜南自身にも切り離せずにいるのだろうが。


 如月は強く拳を握った。
 己の中の恋情の残滓を噛み砕き、
覚悟へと昇華するために。
「満、お前ならやれる」
 拳を胸元にかざして、エールを送る。
「――止めるぞ」


 あいつは、『亨』は『恋敵』である前に、
自分の大切な『友』だ。
 亨がずっと自分を『友』だと思っていたのなら、
自分も『友』として出来る事を果たすまでだ。
 『友』を、彼が愛する人の前で、死なせてたまるか。


「さて、本当にやれるのかねぇ?」
 小男の叫びに、怜南がきっと睨みつける。
 手を振り上げる気配を察し、
如月が体ごと前に割り込んで止める。


「レナ。
 ……こいつはお前が手を出す価値さえない」
「随分な言われようだ」
 怜南は唇を噛み、苦し気に一つ頷く。
 戦いを見届ける為に舞台へと向き直った。






19'/08/19 UP





     



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